沿革

<本創立までの経緯>

河内長野市は大阪府南東部に位置し、古くは高野山への道筋として栄え、和歌山・奈良と大阪を結ぶ交通の要衝にあたっている。
寺院や数々の文化財が多く、自然と人間の調和のとれた環境である。
昭和40年代より堺市・大阪市のベットタウンとして大型住宅開発が進められてきた。

昭和56年3月5日、住宅地造成事業法による開発許可が認められた。
神ヶ丘、岩瀬、三日市、片添地区の山地を切り拓き、開発された。
計画戸数3000戸、敷地内に小学校1,中学校1の用地が確保された。
昭和60年7月から入居が始まった。
当時の生徒は加賀田中学校へ通学していた。
入居者の増加に伴い、河内長野市立の第7番目の中学校として美加の台中学校設立の計画が立てられた。

<主なできごと>

年月

できごと

H2.3.30 中学校設置条例決議
H2.6.21 着工 河内長野市立美加の台中学校123
H3.3.27 竣工
敷地面積 34,235㎡(建物面積13,375㎡,運動場敷地16,457㎡,その他4,403㎡)
総工事費 1,428,610,000円特別教室(13),多目的室(1),管理諸室,体育館
H3.3.31 校章、校旗制定
H3 4.1 河内長野市立美加の台中学校 開校
1年 123人 2年 112人 3年 90人 計325人 10クラス福田弘行校長以下教職員21名
4.8 美加の台中学校 開校式、入学式、始業式
6.22 創立記念日制定、校歌制定
6.29 プール完成
H4 4.8 平成4,5年度大阪府教育委員会指定、河内長野市教育委員会委嘱、
中学校生徒指導研究学校を受ける。
9.12 第二土曜日を休業日とする「学校週五日制」実施
H5.11.26 平成4,5年度大阪府教育委員会指定河内長野市教育委員会委嘱
中学校生徒指導研究学校として研究発表
「組織的な生徒指導の推進-基本的学習習慣、基本的生活習慣の育成-」
H7 4.8 第四土曜日も休業日とする「学校週五日制」実施
9.25 中華人民共和国教育視察団訪問
10.3 地区小・中学校研究講座 コンピュータ利用の数学研究授業
H8 3.31 福田弘行校長 長野中学校へ転任
4.1 窪田憲二校長 長野西中学校より赴任
H9 7.4 美加の台中学校区教育問題懇談会発足
H10 8.6 近畿大会出場 サッカー部(府大会優勝) ソフトテニス部(個人の部)
教育委員会表彰 サッカー部
H11 3.31 窪田憲二校長 千代田中学校へ転任
4.1 澤田宗和校長 千代田小学校より赴任
8.6 近畿大会出場 サッカー部(府大会優勝)
9.24 教育委員会表彰 サッカー部
H12 3.31 澤田宗和校長 退職 大阪狭山市教育長に就任
4.1 井上正博校長 バンコク日本人学校より赴任
6.24 創立10周年記念式典実施
H14 3.31 井上正博校長 退職
4.1 父川修平校長 美加の台小学校より赴任
H16 3.31 父川修平校長 退職
4.1 西野幸男校長 美加の台中学校教頭より昇任
H19 3.31 西野幸男校長 南花台中学校へ転任
4.1 宮嶋良通校長 河内長野市教育委員会より赴任
H22 3.31 宮嶋良通校長 河内長野市教育委員会へ転任
4.1 芝田雅彦校長 長野中学校より赴任
H24 3.31 芝田雅彦校長 松原市立松原第七中学校へ転任
4.1 井関和弘校長 東中学校より赴任
H25 3.31 井関和弘校長 退職
4.1 岡本憲司校長 美加の台中学校教頭より昇任